愛人ポンパドゥール
高級フランス料理店に行くと、リモージュのお皿に出会うことがあります。
18世紀初頭にドイツのマイセンが開業しました。それに対抗してフランスのセーヴルやイタリアのジノリも開業します。
マイセンはヨーロッパ白磁の頂点といわれますが、中国の五彩磁器や日本の伊万里焼や柿右衛門の模倣から出発しています。
イギリスでは白色粘土カオリンが入手困難だったので、ボーンチャイナ(牛の骨)が開発されました。
有名なウェッジウッドは透き通るガラス質の磁器ではなくて、クリーミーな陶器です。
磁器のほうが高温で焼かれるので、ピンと叩くと硬い高音なのが磁器、柔らかな低音なのが陶器です。
有名ブランドではマイセン、ジノリ、リモージュ、ヘレンド、ロイヤルコペンハーゲンなどが磁器です。
1756年にセーヴル窯は、ルイ15世の愛人のポンパドゥール夫人に庇護され王立セーヴル製陶所になりました。
ルイ15世(1710~74/在位1715~74)はブルボン王朝晩年のフランス国王で、14世の時代から引きずった財政危機に瀕して苦渋の人生を送ったようです。
国の問題を表面的に取りつくろっただけで、実際には何も解決していなかったと言われています。
ポンパドゥール夫人は音楽史ではブッフォン論争で有名です。
ブッフォン論争は、わかりやすいイタリアオペラか、格調高いフランスオペラか、どちらが本来あるべき姿か?の論争です。
ポンパドゥール夫人がフランスオペラ擁護者で、王妃がイタリアオペラ擁護者だったので、ブッフォン論争は愛人と正妻(王妃)の対立構造であるとの見方もあります。
また、ポンパドゥール夫人は気弱な王を操ったとも言われています。
ルイ15世は、高級磁器をイメージするような現代スタインウェイデザインのモデルになっています。
フィボナッチ数列
マグダラのマリアがキリストの奥様であるというのは秘密でしたが、レオナルド・ダ・ヴィンチにほのめかされ、その秘密を公開してしまったのが、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』のようです。
『ダ・ヴィンチ・コード』冒頭のシーンでは、有名な数字配列「フィボナッチ数列」が暗号として使われています。
フィボナッチ数列とは、1、1、2、3、5、8、13、21。2つの数字の合計を並べているにすぎない数列で、0+1=1、1+1=2、1+2=3、2+3=5、3+5=8。
有名になったのは、隣合う数字の大きい数字÷小さい数字=1.618(黄金比の比率)に近づくから。
黄金比を知れば神に近づける、と言われます。
イスラエルを統一し、エルサレムを都としたイスラエル王ダヴィデをモデルとしたミケランジェロの代表作も黄金比を巧みに使っているようです。
自然ともつながりがあって、花や葉、カタツムリの渦巻きはフィボナッチ数列によると言われています。
また、正方形の中に最大の丸い円を書くと、円の面積が78%、円以外の正方形の面積は22%です。
この比率はユダヤ商法にも使われているようです。
宇宙とは実は何かの法則で出来ているのかもしれません。
ピアノの外装は、ピアニストに芸術的インスピレーションを与えるものとして、デザインされているものがあります。
スタインウェイにフィボナッチ数列によってデザインされたものがあり、自然や宇宙につながるピアノを連想します。
コーヒー
コーヒーはカルディのマンデリンフレンチが好きで、家ではよくこれを飲んでいます。
ペーパーフィルター用と頼んで、豆を挽いて頂きます。
拘り派の方は、飲む直前に豆を挽くのが美味しいと聞きますが、私的には手間の割りにそれほどの違いはないと思います。
大きく違うのは、豆の量と湯の量の比率だと思います。
私は量りにのせて、一杯で豆12グラム、湯210グラムで淹れます。
コーヒープレスかペーパーフィルターとの違いでは、ペーパーフィルター派です。
コーヒープレスはコーヒーの油が残るので、濃くでるといいます。確かに舌触りはココア的なザラッと感があったりしますが、香りとスッキリ感でペーパーフィルターの方が好きです。
以前に、ガス焙煎もしてみていたことがありますが、ガス台がコーヒー豆のカスだらけになってしまうので止めました。
焙煎器具は手軽なものを自作で工夫して、まあまあ上手く焙煎出来ていたかと自己満足していましたが、なんせ匂いもスゴくて、換気扇を回したところで部屋じゅう匂いますのでオススメではありません。
よく焙煎したフレンチローストやダークローストが美味しいと思いました。
コーヒーは近代の持つ「目覚めている」感じと非常に相性がいいといいます。
コーヒー普及以前の、17世紀ヨーロッパにおける平均的な家庭のビールの消費量は、老若男女、子供まで入れた平均で、一人あたり一日三リットルもあったらしいです。
コーヒーのような覚醒作用の強い飲み物がヨーロッパに普及するのは、プロテスタントを中心に広がっていったようです。
プロテスタントはカトリックよりも遥かに禁欲的で、コーヒーを飲んで理性的に生きようとしました。
18世紀からはピアノの時代が始まるので、コーヒーの普及とピアノの歴史は重なり、また理性的、覚醒的であるところも似ていると思います。
19世紀後半あたりからのピアノをモダンピアノ、それ以前のピアノをフォルテピアノとわけて言ったりしますが、ピアノ発展史時代、近代資本主義やプロテスタントと密接な関係があり、その意味でコーヒーとピアノは性格が似ていると思います。
ピアノは19世紀後半には完成し、それ以上は音楽楽器としての進化はしていません。
ある時代、地域にだけ、何かが発展進化して、ある時に終わることがあります。
終わってみて、どうしてあの時代だけ発展進化したのだろうか?と初めて気が付くわけです。
時代背景などを見直すことで、煮詰まった状況に対する何らかの手掛かりを見つけられるのかもしれません。