Perfidi!
スコットランドというと、スコッチウィスキーやシングルモルト、ハリーポッター、ゲーム・オブ・スローンズ(連作ドラマ)などを思い浮かべるのですが、スコットランド王マクベスの場所。
マクベスも夫人もダンカンもマルコムも実在。
スコットランド王朝17代目の王マクベザッド・マクフィンドレーク(在位1040~57)が率いる兵士たちによって、従兄弟の16代目の王ダンカン1世(在位1034~40)は殺される。
マクベス17年間の治世はおおむね平和だったが、ダンカンの長男で19代目の王マルコム世(在位1058~93)の軍により殺される。
18代目の王はマクベス夫人グルーオックの連れ子ルーラック(在位1057~58)ですが、数か月しか統治せずマルコム3世に殺された。
マクベス夫人は再婚で、ルーラックは元夫との子。元夫の死にマクベスは責任があった可能性があり、その恩恵は受けている。
実の歴史と違いシェークスピアの劇で、マクベスは魔女の予言にとり憑かれ実行していく。
マクベス夫人は狂い夢遊病者になる。
罪悪感というよりは自己崩壊、自己崩壊してしまえば罪悪感はない。
ちなみに会社が倒産すると借金は免除されるらしい。
もう20年前になりますが、スカラ座日本公演ムーティ指揮のオテロとマクベスを観たのが思い出深く、オテロでは今の天皇陛下もいらしてました。
シェークスピアの対照的な2大作品オペラ。
悲劇のヒロイン的に妻が姦通したという奸計にひっかかるオテロと違い、マクベスは運命など求めていない。
ありのままなど無い、不条理などというものは未だに和解を求めている。
やってしまった人間は何かをみた、それは悲劇を拒絶するが、認識を得る。
ヴェルディオペラとしてオテロは大きいですが、物語としてマクベスは途轍もなく深い。
マクベスはバリトンで暗くドラマティックな声が要求されるらしいですが、唯一のアリアは第4幕だけ。
ひたすら無意味に劇など排するような心情はオペラに向かなさそうですが、逆に平凡でパンチがないと言われもするアリアに合ってるようにも思います。
15年前くらいに発表会で歌いました。
私のレベルだと、Perfidi!からのイタリア語を流暢に歌うほうがPieta~からの歌より難しい感じです。
参考図書:ヴェルディのオペラ 音楽之友社
意味という病 講談社学術文庫
バーチャル未来
松茸の季節。
買えないならエリンギで代用、輪切りにすれば帆立に似ているような。
ブレードランナーは世代的に公開から遅れてですが、レーザーディスク時代に何度も観ました。
私はその後にオペラ鑑賞が増えたのですが、今ほど手軽でなかったぶん貴重でした。
もう7年前でしょうか、ブレードランナー2049。
バーチャルホログラムのジョイが印象的で、スイッチ一つで現れる。
単に少子化に反すると考える以上に、妄想を満たすその先の在り方が心に残りました。
レプリカントとホログラムの愛には意思疎通もあり、意外なほどに感情豊かに生きる。
ホログラム彼女は壊れて消えてしまうのですが、とても悲しくて、どうにもならない虚しさが漂うのが不思議でした。
その後、プライベートだったはずのジョイは一般的な巨大映像になったりするのですが、もうすでに悲しいというよりは苦笑に近かった。
出会いがリアルかどうかではなく、バーチャルな未来は予期せぬ思いと新たな妄想に遭遇し、それほど違和感もなく現れるかもしれません。
悩み
ウェルテル効果とは、マスメディア報道に影響されて自殺が増える事象を指し、ゲーテ(1749~1832年)の実体験をもとに執筆されている書簡体小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)に由来する。
ちなみにゲーテの同時代人ナポレオンはウェルテルの愛読者で、エジプト遠征の際に7回読んだらしい。
マスネがオペラ化していて、タイスやマノンと並んで代表作の一つ、
「手紙の歌」や「オシアンの歌」などは単独でも歌われる有名なアリア。
10何年ぶりのレッスンで持っていった曲の一つがオシアン、Pourquoi me reveier。
フランス語はほぼ歌ったことがなくわからなかったので、名歌手が歌っているのを耳コピで歌ってみて、あとはレッスンで直して貰いました。
私にとって問題はやはり、bまたはAis音。
この曲はcからAis、増6度上げるのがキツく、出せたり失敗したり。
ちなみに妙なる調和のTosca,sei tu!ならdからbで短6度、調子がよくないと失敗します。
10何年か前に発表会で歌った蝶々夫人Addio,fiorito asilならAsからbの全音上げなので出しやすい。
音幅が広いと出しにくいのですが、ここで悩むこと自体がテノールでないのです、残念ながら。
テノールは名アリアなど多いので歌いたくなるのですが、自分に合った音域で歌うのが本来。
ゲーテは『若きウェルテルの悩み』を執筆することで、人妻シャルロッテへの失恋自殺危機から脱出できたらしい。
その後、1786年のイタリア旅行で魅了されまくったのを境に、作風はガラリと変わったという。
シャルロッテならぬテノールに失恋してもピストル自殺せずに、更に素敵なことがあると信じる力が大切と思います。