焼き味噌
こう暑さが続くと未だに冷やし中華が美味しかったりしますが、美意識とは程遠い男性腹回り界隈を想えば胡瓜のみを食したい。
塩と胡麻油と唐辛子ならオイシイでしょうが胡麻油はダイエットに向かない、
ならば味噌だけでも十分おいしい、更に焼き味噌にしたら猶美味しい。
焼き味噌というと木杓文字に平らに落ちないように塗りつけて焼く、儀式めいた丁寧さと共にめんどくさがりは排除していく潔さではなく、単にスプーンで掬ってガスコンロで焼けば黒焦げがカリッと芳ばしくて焼いた温度感、健康面を考えてしまうのなら珈琲の深煎りはどうなるのだろう?
スナック、ナッツ類につけてもいいけど、焼き味噌だけでも十分かと。
塩分?
私は昔から血圧計によれば低過ぎるのですが早起き出来ない訳でもないし、迷信の多い血圧。
人はみる人を良くも悪くも自分に類似していると単に思いがちなので、類は類を呼ぶと言うだけかもしれません。
直近のマイフェイバリット占いによると、
キャッチャーに緩いカーブをサインされていても、貴方は首を振ってばかりで直球のストレートばかりを投げたがる。
最初に緩いカーブを投げてから貴方の速いストレートを投げれば仕留められるのに、
とのこと
ストーリー
個人的な被害者意識に過ぎないようでも歴史的に敷衍してみせることさえ出来れば立派な自虐史観となるようで、それを成り立たせるためには自己同一化の運動のように取り込んでいく、他者とは見做さず恐らく自らと同じであるかのように観えるにすぎない臆測をリアルに捉えるのは、恰も悟るが如くのかの境地。
ある仏典によると、
無から生じるものは無でしかないとの数論派の弟子に対し釈迦宣く、
真であるのは有から生じる、無になるものと有になるもの2種類ある。
数学ならゼロに何を掛けてもゼロになるが、ゼロは有るとも無いともいえる。
ゼロ以外の数を掛ければ、ゼロ以外になる。
光が物を照らすので有る、それを観る観測者がいるから有るのなら中心のない自由なオープンワールド、個が自由に行動する足跡は気が付けばストーリー仕立てのスクロール型。
釈迦の掌の上かのように。
Perfidi!
スコットランドというと、スコッチウィスキーやシングルモルト、ハリーポッター、ゲーム・オブ・スローンズ(連作ドラマ)などを思い浮かべるのですが、スコットランド王マクベスの場所。
マクベスも夫人もダンカンもマルコムも実在。
スコットランド王朝17代目の王マクベザッド・マクフィンドレーク(在位1040~57)が率いる兵士たちによって、従兄弟の16代目の王ダンカン1世(在位1034~40)は殺される。
マクベス17年間の治世はおおむね平和だったが、ダンカンの長男で19代目の王マルコム世(在位1058~93)の軍により殺される。
18代目の王はマクベス夫人グルーオックの連れ子ルーラック(在位1057~58)ですが、数か月しか統治せずマルコム3世に殺された。
マクベス夫人は再婚で、ルーラックは元夫との子。元夫の死にマクベスは責任があった可能性があり、その恩恵は受けている。
実の歴史と違いシェークスピアの劇で、マクベスは魔女の予言にとり憑かれ実行していく。
マクベス夫人は狂い夢遊病者になる。
罪悪感というよりは自己崩壊、自己崩壊してしまえば罪悪感はない。
ちなみに会社が倒産すると借金は免除されるらしい。
もう20年前になりますが、スカラ座日本公演ムーティ指揮のオテロとマクベスを観たのが思い出深く、オテロでは今の天皇陛下もいらしてました。
シェークスピアの対照的な2大作品オペラ。
悲劇のヒロイン的に妻が姦通したという奸計にひっかかるオテロと違い、マクベスは運命など求めていない。
ありのままなど無い、不条理などというものは未だに和解を求めている。
やってしまった人間は何かをみた、それは悲劇を拒絶するが、認識を得る。
ヴェルディオペラとしてオテロは大きいですが、物語としてマクベスは途轍もなく深い。
マクベスはバリトンで暗くドラマティックな声が要求されるらしいですが、唯一のアリアは第4幕だけ。
ひたすら無意味に劇など排するような心情はオペラに向かなさそうですが、逆に平凡でパンチがないと言われもするアリアに合ってるようにも思います。
15年前くらいに発表会で歌いました。
私のレベルだと、Perfidi!からのイタリア語を流暢に歌うほうがPieta~からの歌より難しい感じです。
参考図書:ヴェルディのオペラ 音楽之友社
意味という病 講談社学術文庫