時代
現代を1930年代、第二次大戦前と比べる見方が根強くあります。
しかし、1990年米ソ冷戦以降、アメリカ覇権が終わりつつある時代は、むしろ1870年頃からの時代に似ているという見方があります。
1870年からはイギリスの世界覇権が終わり、覇権国がない時代。イギリスは製造部門で後退し、1870年以後、重工業の部門で、次の覇権国を狙うドイツやアメリカに遅れをとったようです。
イギリスは産業資本に投資するより、海外投資や金融投機に向かいました。
今のアメリカの資本に似ています。
ピアノの歴史はどうでしょう?
1867年のパリ万国博覧会ではスタインウェイとチッカリングが金賞を取り、競争関係であったようです。
その頃からヨーロッパでスタインウェイが最高であるというようになり、スタインウェイ・システムは、世界中のピアノ・メーカーを評価するための新しい基準となったといいます。
スタインウェイ・システムの主な開発者はヘンリー・ジュニア(創業者三男)です。
当時の最も偉大なピアノ製作者ヘンリーは1865年亡くなり、同年にチャールズ(創業者二男)も亡くなります。
1871年にはスタインウェイ創業者ハインリッヒ・スタインヴェクが亡くなっています。
その後、スタインウェイビジネスを拡大したのはウィリアム(創業者四男)です。
1872年にはリストの後継者といわれるロシアのアントン・ルビンシュタインを援助したりしています。
その後のラフマニノフやホロヴッツ、スタインウェイアーティストの先駆けと言えると思います。
イギリス覇権が終わる1870年頃が、ピアノの歴史もターニングポイントなのかもしれません。
第一次大戦以降はアメリカ覇権の時代。芸術様式はアールデコが流行りますが、19世紀後半には、アールヌーボーが流行っています。
アールヌーボーからアールデコ両時代に活躍したルネ・ラリック(1860~1945年)の会社は、スタインウェイのアートケースをデザインしております。
まさに時代の鏡のようなピアノだと思いました。
サウンド・ベル?
スタインウェイのセミナーで知りましたが、サウンドベルと言っているのは日本だけで本来はトレブル・ベル(高音のベル)というのが正しいそうです。
また、いわゆるサウンドベルが鉄骨の響きと共鳴して支柱に伝え、高音の輝かしい響きを増幅する云々は違った話で、本当は高音部の鉄骨が浮き上がってくるのを押さえるためです。
更にまた、いわゆるサウンドベルが付いているのは、支柱の構造によりA型より大きなものだけ。
と言って、O型より小さいモデルがスタインウェイの音がしないわけでは、もちろんありません。
なかなか極東の島国には、西洋文物の正しい情報が伝わりにくい、と不勉強を棚に上げて言ってみたいところですが、ここまでネットが発達している今日この頃、古くなったセリフなのかもしれません。
調べればすぐにわかるものをすぐに調べないところに原因があるので御座います。
愛人ポンパドゥール
高級フランス料理店に行くと、リモージュのお皿に出会うことがあります。
18世紀初頭にドイツのマイセンが開業しました。それに対抗してフランスのセーヴルやイタリアのジノリも開業します。
マイセンはヨーロッパ白磁の頂点といわれますが、中国の五彩磁器や日本の伊万里焼や柿右衛門の模倣から出発しています。
イギリスでは白色粘土カオリンが入手困難だったので、ボーンチャイナ(牛の骨)が開発されました。
有名なウェッジウッドは透き通るガラス質の磁器ではなくて、クリーミーな陶器です。
磁器のほうが高温で焼かれるので、ピンと叩くと硬い高音なのが磁器、柔らかな低音なのが陶器です。
有名ブランドではマイセン、ジノリ、リモージュ、ヘレンド、ロイヤルコペンハーゲンなどが磁器です。
1756年にセーヴル窯は、ルイ15世の愛人のポンパドゥール夫人に庇護され王立セーヴル製陶所になりました。
ルイ15世(1710~74/在位1715~74)はブルボン王朝晩年のフランス国王で、14世の時代から引きずった財政危機に瀕して苦渋の人生を送ったようです。
国の問題を表面的に取りつくろっただけで、実際には何も解決していなかったと言われています。
ポンパドゥール夫人は音楽史ではブッフォン論争で有名です。
ブッフォン論争は、わかりやすいイタリアオペラか、格調高いフランスオペラか、どちらが本来あるべき姿か?の論争です。
ポンパドゥール夫人がフランスオペラ擁護者で、王妃がイタリアオペラ擁護者だったので、ブッフォン論争は愛人と正妻(王妃)の対立構造であるとの見方もあります。
また、ポンパドゥール夫人は気弱な王を操ったとも言われています。
ルイ15世は、高級磁器をイメージするような現代スタインウェイデザインのモデルになっています。