アルファとオメガ
変化があるから時間があり、変化が止まる聖なる日常では時間は止まる。
時間が流れるのは日常で、時間がないのは初まりも終わりもない世界。
視覚も聴覚も対象と関連付ける意識の外化で、時間の中にある。
楽器も音楽も時間がないと成立しませんが、前後の脈絡ない夢や物語のない祈りの世界なら時空を超えるかもしれません。
時空といえば、人の意識が先にあるなら空間より時間が先にある。
「初めに~を創造された」や「初めに~があった」というように、初めにという時間から初まる。
未来予知が出来たとしても時間の中の話で、逆に言えば現在と未来があるから時間があり空間がある。
現在だけなら時間も空間もないので、つまり時間は二項対立を必要とする。
ピアノ調律においてなら連成振動で、接近した弦振動で周波数か近ずいてくると引っ張り合って一つになろうとする現象があります。
まず最初に、二項対立があるわけです。
現実があるから夢がある。
パラレルワールドがあると考えられるようですが、存在している時点にifはない。
しかし、時空を超えた外在する異世界の観測者は時間がみえて、計算や実験を繰り返し、成功するルートを探しているのかもしれません。
また、人はそれを意識出来るということ。
二項対立が一つになることが救いで、失われたものの回帰とか完全合一などと楽観的に考えてしまうと更に救われなくなるように思います。